読書の一文を通して人生の棚卸しと改善

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「私こそごめんね、親不孝だ、私なんて親不孝なの、こんな心配かけて」

「私こそごめんね、親不孝だ、私なんて親不孝なの、こんな心配かけて」
 
ひとそれぞれの夢や目標があって、それがどんなものでも、結局はそれに対する思いの強さは
なにかに囚われているのかと思うくらいだ事だと思う。
 
アナウンサーになり、◯◯番組のキャスターになりたい。
それが、夢や目標であるならきっとそのために頑張れるのだと思います。
でも、それに囚われてしまうとことはちょっと違うと感じてしまいました。
 
病気になって、そのキャスターの仕事をやめる可能性が出てきたときの、
彼女の行動と言動は、もう追い詰められていると思ってしまうほどです。
 

 

 
そこまで、その番組のキャスターに仕事に価値があるのかと思ってしまうほど、
彼女はキャスターという仕事に重点を置きすぎていました。
 
こうでなきゃ駄目!こうあるべき!という自分の作った枠の中でもがいていて、
なにか夢や目標を叶えているのに、とても苦しそうでした。
 
病気のせいで、その夢や目標が奪われるというのは確かに苦しいことなのかもしれないけど
そうじゃなきゃ駄目と思うことはすごい違和感を感じました。
 
自分の思いの強さが強いほど、周りに与える影響も強くなる。
改めて、このことに気付かされました。
 
世界平和を望む人が、影響力がないわけありません。
こうなりたいという思いも同じで、その思いが強ければ周りに与える影響も強くなります。
あの商品がどうしてもほしい、あのアイドルに会いたいっていう思いも同じです。
 
多かれ少なかれ、友達や家族に強い影響を与えていきます。
すべてが自分だけの中で終わることわなくなってきます。
 
 
そして、それを手に入れられないと知ったとき周り知ったとき、
「ごめんね、お金がなくて」や「ごめん運がなくて」など何かしら相手にも
重しをのせてしまいます。
 
 
それが病気のせいで夢や目標が絶たれたのなら、
それはその病気になったのは誰のせいでもないのに、
両親に次の言葉を言わせてしまいます。
 
 
「丈夫な体に生んであげられなくてごめんね・・・」
 
 
 
こんなことを言わせてしまうほど、親不孝なことはないと思います。
生まれてきたのは、両親がいたからです。
なによりも、その人生を選択してきたのは最終的には自分なのです。
 
毒親という言葉もありますが、その壁を乗り越えることもできるのは最終的には
自分次第になってきます。
 
 
嫌いな相手を不幸にしてしまうことがあっても、
好きな人を不幸にしてしまうことは、避けたいと思います。
 
大切にしてくれている人に、「ごめんね」と言わせない。
そういう人生を歩めるようにもう少し、自分というものと親というものを考えてみたいと
おもいました。
 
未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター 

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黒木 奈々 (著)